(第25号)
企業法務よしなしごと
・・・ある企業法務人の蹣跚・・・
平 田 政 和
Ⅲ.Juniorのために・・・広い視野をもとう(その5 )
【素直に考えることとバランス感覚を持つこと】
法務部にはいろんな法律問題が持ち込まれる。若手の頃はすぐに関係すると思われる法律や通達あるいは判例を頭に浮かべる。そして持ち込まれた案件を分析し、これらとの関係を検討して答を出す。その答が常識に照らしても納得できるか、バランス感覚がある回答か、というような点からはあまり考えない。
私にもこのような経験がある。入社して数年経った頃、担当する仕事について解ったような気になり自信らしきものがついた頃(後で考えてみると、何も知らないということをよく解っていなかった頃だったのだが)のことである。会社はそれまでは織物の製造は賃加工の形式で下請の織物製造業者に委託していた。
ところが方針が変わり「当社は織物製造業者に原糸を売る。織物製造業者は当社から購入した原糸の全量を用いて当社との契約に定められた織物を製造する。織物製造業者は製造されたその織物全量を当社に売り渡し、当社はそれを購入する。」方式に変更する、ということが決定された。その理由として財務面、経理面、現物管理面からいろいろと説明されたが、当時の私の目からは説得力、納得性があるものとは思えなかった。
問題は、今まで請負で行ってきた加工委託取引を売買取引に変更することに伴う債権の保全をどうするか、ということである。請負取引では取引先に原材料たる原糸を寄託する。この原材料の所有権は当社にある。また、その原材料の加工途上の仕掛品や加工完了後の製品の所有権は民法の規定により原則として当社にある。
そして民法の規定の但し書は、加工によって生じた価値が原材料の価値を超えるような場合は、加工者が所有権を取得すると定めている。しかし、この但し書規定は任意規定であるため契約により別の定めをすることができる。そして現実には契約により原材料の所有者が仕掛品や完成した製品の所有権を取得する、と定めている。
これらにより、請負取引により相手先に寄託した原材料、仕掛品、製品の所有権は当社にあることになる。
しかし、これを原材料を相手方に売り、相手方が当社から購入した原材料の全量を使用して製品を作り、その製品の全量を当社に売り渡す、という契約に変更すると、当社は相手先に原材料代金につき売掛金債権を有することになる。この売掛金債権は何らの保全もされていない。
そこで、私は当時学界や実務界で議論されていた「内容が変動する集合動産を目的とする譲渡担保権」に目を付け、当社の相手先に対する売掛金代金を担保するため、当社が相手先に売り渡した原材料やそれを材料とする仕掛品や製品を目的とする譲渡担保権の設定を受ければ、実質的に従来の請負契約と同じになり、当社の売掛代金債権は保全されるのではないか、と考えた。
そして、ありったけの知識と知恵を動員して「買戻条件付糸売織物買基本契約書」(集合動産を目的とする譲渡担保権設定契約と製品買戻特約条項付原材料販売契約を組み合わせた取引基本契約書)を立案し、意気揚々と顧問弁護士の事務所を訪れ、私の考え方を説明し、意見を求めた。
顧問弁護士は、私の説明をじっくりと聞かれた後に、「理屈ではそうだけれども、請負方式による加工委託契約とはどう違うのか。素直に考えた場合、あなたが立案した契約は実際には請負方式による加工委託契約と同じだと思うが、どうだろうか。」と質問された。
若かった私もいろいろと私の考え方をお話ししたと思うが、どのようなことを話したかは記憶にない。ただ一つ「素直に考えなさい」、この言葉は強く心に残った。会社は何年か後に、この取引を従来の請負方式の取引に戻した。
「あの人はバランス感覚がある。」あるいは「バランス感覚が欠如している。」、これらの言葉は会社生活をしているとよく聞く。バランス感覚とは何か、運動している際に傾きを察知する平衡感覚、環境に応じて自らを相対的に変化させていく相対主義、ある判断の偏りを他の判断で補おうとする均衡主義などが言われている。
会社生活におけるバランス感覚については、私は「幅広くいろんな見方をするとともに、物事の本質を見抜き、それを平易な言葉で説明し、納得させる力」と言い換えることが出来るのではないか、と思っている。
法律の要請と実務の要求、自社の主張と相手方の立場、これらの全てについてバランスの感覚が必要である。自社の主張の100%を相手方に受け入れさせたとしても相手方がそれを実行に移すことができなければ、また実行に移さなければ意味はない。
持ち込まれる法律相談にバランス感覚がある回答ができるよう意識して幅広く知識の習得に努めたいものだ。
(以上)