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本件は、夫婦である被告人両名が、妻の妹であり、統合失調症の診断を受けていた被害者を引き取って同居していたところ、被害者が極度に衰弱し、歩行するなどの身動きも一人では不自由な状態になったのであるから、被害者の生存を確保するため、医師の診察等の医療措置を受けさせるなどの保護を加えるべき責任があったにもかかわらず、被告人両名が、共謀の上、被害者に医師の診察等の医療措置を受けさせず、僅かな飲食物を提供するのみで、その生存に必要な保護を加えなかったことによって、被害者を死亡させたという事案である。
被告人両名は、第1審で、被害者が医療措置などの保護を必要とする状態であることは分からなかったなどと主張したが、裁判員裁判である第1審判決は、被害者の衰弱状態などについて述べる医師や飲食店店員の証言が信用できることを前提に、被告人両名はその点を分かっていたなどと認定して被告人両名を有罪とし、いずれも懲役6年に処した。被告人両名が控訴したところ、原判決は、これら2名の証言は信用できないとし、第1審判決には論理則、経験則等に照らして不合理な点があるとして、事実誤認を理由に第1審判決を破棄して差し戻した。これに対し、検察官が上告したのが本件である。
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本判決は、次のとおり、原判決を破棄し、原審の広島高裁に差し戻した。すなわち、原判決は、医師の証言について、医学的な専門知識等に基づく証言であることなど信用性を支える根拠があるのにこれを考慮せず、証言内容の一部が他の証言部分の信用性を失わせるものとはいえないのに失わせるなどとし、店員の証言について、被害者の外見上の状況に関して述べる部分が重要であるのに証言の中心部分ではない周辺的な事情に関する食い違いを理由に証言の信用性に疑問があるなどとしており、このような信用性評価は正当とはいえず、そのような誤った信用性評価を前提に、第1審判決の認定を是認できないとしたのは、第1審判決について、論理則、経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示したものとは評価することができないと判断し、刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があるとした。
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控訴審における事実誤認の審査方法に関しては、事実誤認の本質とも関連して、従前から様々な考え方が示され、大きくは論理則、経験則違反説(事実誤認とは第1審判決の事実認定に経験則、論理則違反があることをいうとする考え方)と心証比較説(事実誤認とは第1審判決に示された心証ないし認定と控訴審裁判官のそれとが一致しないことをいうとする考え方)の対立があると理解されていた(河上和雄ほか編『大コンメンタール刑事訴訟法〔第2版〕第9巻』(青林書院、2011)260頁〔原田國男〕以下参照)。そして、裁判員制度の導入を契機に改めて裁判実務家による研究が示されるなどしていたところである(上岡哲生「判解」判解刑平成24年度(2015)115頁以下参照)。
そのような中、最一小判平成24・2・13刑集66巻4号482頁が、「刑訴法382条の事実誤認とは、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることをいうものと解するのが相当である。したがって、控訴審が第1審判決に事実誤認があるというためには、第1審判決の事実認定が論理則、経験則等に照らして不合理であることを具体的に示すことが必要であるというべきである。」との判断を示した。この判例は上記の論理則、経験則違反説を採用したものとみられ、この最高裁判決後も、最三小決平成25・4・16刑集67巻4号549頁、最一小決平成25・10・21刑集67巻7号755頁が、平成24年判例を踏まえた判断を示している。
そして、控訴審における事実誤認の審査方法に関する議論の中では、控訴審において裁判員裁判である第1審判決をどの程度尊重するべきかという議論とも相まって、第1審判決が有罪の場合と無罪の場合とで事実誤認の審査基準に違いがあるか否かが議論され、平成24年判例が出された後も、この判例の示した解釈がどこまで及ぶかなどという形で同様の議論が続けられていた(門野博「『第7回刑事事実認定研究会』結果報告」法政法科大学院紀要第9巻1号(2013)52頁、原田國男「事実誤認の意義―最高裁平成24年2月13日判決を契機として―」刑事法ジャーナル第33号(2012)40頁以下等、髙﨑秀雄「刑事控訴審における事実誤認の審査」法律のひろば2012年5月号45頁、河上和雄ほか編『注釈刑事訴訟法〔第3版〕第7巻』(立花書房、2012)546頁〔井上弘通〕等参照)。
このような観点から上記の三つの判例を見てみると、これらはいずれも裁判員裁判である第1審判決が無罪の場合について判断を行ったものである。これに対し、本判決は、裁判員裁判である第1審判決が有罪の場合である本件において、原判決が、前記医師及び店員の各証言を信用できないとし、被告人両名は被害者が生存に必要な保護として医療措置を受けさせるなどの保護を必要とする状態であることを分かっていたとする第1審判決の認定、判断を是認できないとした判断は、「第1審判決について、論理則、経験則等に照らして不合理な点があることを十分に示したものとは評価することができない。そうすると、第1審判決に事実誤認があるとした原判断には刑訴法382条の解釈適用を誤った違法があ」るとし、平成24年判例の示した解釈を踏まえた説示を行っている。
本判決は、刑訴法382条の解釈適用に関し、第1審判決が有罪の場合であっても、論理則、経験則違反説が妥当する旨を示したものとみられ、第1審判決が有罪の場合には平成24年判例の示した解釈は妥当しないとする考え方を否定したものと思われる。
このように、本判決は、刑訴法382条の解釈適用に関し、新たな事例判断を付け加えるとともに、上記の論点について新たな判断を示したものであって、今後の実務の参考になるものと思われる。なお、差戻審である広島高裁は、平成26年9月18日、控訴棄却の判決を行っており、上告されたものの、平成27年4月19日、上告棄却となって、同年5月13日に確定している。