◇SH1373◇『民法の内と外』(4b) 複数者が主体となる債権・債務の諸形態(中) 椿 寿夫(2017/09/01)

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連続法学エッセー『民法の内と外』(4b)

複数者が主体となる債権・債務の諸形態(中)

                         京都大学法学博士・民法学者

                              椿   寿 夫

 

〔Ⅲ〕 不真正連帯債務

 (ア) この観念は、明治民法以来、法典には登場せず、今回の改正でも沈黙のままである。大審院判例が「別個の債務にして連帯債務にあらず」としていたことは、かなり知られているであろうが、現在では不真正連帯債務という呼び方が一般である。その内容は、昔に遡るほど、連帯債務との“差異”が唱えられた。すなわち、対外関係では債権者が満足を得る以外には絶対効(共同債務者への影響)を生じないし、内部関係では弁済した債務者に求償権(他の債務者に分担を請求する権利)がなかった。また、特別研究生時代に、19世紀のドイツ普通法における共同連帯論争を解明する途中で在学期間が終了したため、見果てぬ夢と終わったが、個人主義法思想の下では「連帯は推定されない」とともに、連帯に近似する共同責任の育成も現れにくかったのではないかと憶測したことがある。また、ドイツでは権利絶対観(権利者の立場・利益を優先させる)が強く、峻別かつ対置の論理(事象Aと同Bの関係を考える際は、関連・近似の面よりも差異・区別を徹底させる)も勢力を保有していた。

 このような状況――ここまでだけですでに太細・硬軟さまざまな糸が織り合わされていて、簡単にはほどけない――に加えて、不法行為制度に“制裁”としての性格を肯定し、かつ、被害者Gに対し加害者S1およびS2それぞれが独立に不法行為を故意で行ったような場合を想定すれば、“各自の責任の孤立”状態も理解できる。しかし、制裁から損失の補填へと制度の見方が変わり、故意の加害行為であっても全額を賠償した者にいつも最終負担をさせるのは不公平だという感覚が支配的となるに従い、内部関係では“分担”発想が現われる。その上、連帯債務の側でも、債権の力を強くする方策として、満足を伴わない事由(S1 だけに対して借金の返済を勘弁してやる)の“絶対効”が好まれなくなる。旧437条・439条の削除がその現われである。           

 (イ)こういう方向での整序がはっきり是認されれば、連帯債務と不真正連帯債務の差異はぐっと縮小し、二つの観念を別扱いするほどのことはなくなる。上記(4a)Ⅱエで紹介した見解がこの方向を進めて、不真正連帯債務を連帯債務へ吸収させるわけである。ただ、その際、少し強引だが「法令の規定」へ不真正連帯債務の諸場面を嵌め込むか、私見のように「解釈連帯」という法的構成を作るかが違ってくる。constructiveという用語は昔、信託の勉強をしていたころ、谷口知平『英米契約法原理』などから示唆を受けて利用を考えた記憶がある。なお、言うまでもないことだが、伝来の不真正連帯債務の観念を今後なお維持する見解も、抹消するべきほどの運用状況があるわけではないどころか、関係者に必要かつ有益な保護手段として機能していたから、存続説も今後なお成り立ちうるところであろう。さっそく生まれてくる新法解釈論の展開がどのような方向へ向くかを待ちたい。

 (ウ)吸収する方向を採用した場合も、かつて不真正連帯債務とされていた場面を改めて検討すべきであるが、債権を強化する目的で当事者が合意するところの“契約連帯”は、連帯債務自体が対外関係では旧法より債権者の力を強化されたこともあって、不真正連帯になる場面を約定によってはめ込む必要性がいちじるしく減少しており、おそらくこういう形における出現・利用の稀小性がさらに上積みされるであろう。出現する場面としては、従来の不真正連帯債務と同様、請求権なかんづく損害賠償請求権が複数者に対して向けられる“異主体の請求権競合”(古く末川博の論考がある)が中心となるであろう。その際には、新しい連帯債務の法的な内容(要件・効果)を意識して刷り合せる作業も忘れてはならない。

 (エ)なお、一時ごくわずかに用いられただけの不真正連帯債権は、元々、ある判例評釈者が“いわば思い付きで、なぞらえた”だけの言葉に過ぎず、これからも問題にはなるまい。

 

〔Ⅳ〕 連帯債権

 (ア)従来は規定もなく、小型の教科書などにはこの言葉自体が載っていなかったのではないかと思うが、G1とG2がSに対し「連帯で」と表示して500万円を貸し付けたときには、①Gらはどちらか1人、例えばG1が全額をSから受け取ることができる。②SのほうもG1・G2のどちらへでも返済してよい。そして、③受け取らなかった債権者G2はG1に対して分配を請求できる。――これが連帯債権と呼ばれる。

 (イ)わが新法では、債権総則の第3節第3款にこの連帯債権が規定された。トップの432条が連帯債権の場面と履行の関係を規定し、続く4か条に絶対効・相対効が並んでいる。ドイツ民法は「債務者および債権者の多数」という章の中で各種の態様を表題は付けずに規定し、428条から3か条を連帯債権に充てる。フランス民法の新1310条以下は旧法と同様に、ただし表題は旧法が「債権者間の連帯」となっていたのを「連帯の債権債務」と改めて、最初の3か条を連帯債権に割いている。

 (ウ)私には、どういう理由ないし必要から連帯債権の立法化が“現時点で”行われるにいたったのか、まだよくわからない。西欧法においては、古い時代に溯るほど法的観念が未成熟であったため、この制度を必要としたことは少なくない文献に出てくる。需要を生じながら債権譲渡・債権相続・代理などはある時期まで認められなかったため、譲受人・相続人・代理人らを債権者と同列に並べた。例えば、G1が債権の取立てをG2に依頼する場合に、代理制度がないときには、彼を自身と同じ債権者にして、取り立ててこさせるのである。これで代理制度の欠落をカヴァーできる。債権譲渡が認められないので、譲受人が連帯債権者の一人として債務者に向かう。そのような必要から諸国の民法典には古くから連帯債権が規定された。しかし、やがてそのための手段が認められるようになり、必要性が減少した。その上、追加債権者G2は本来の債権者G1に渡さなければならない(ア②で言えばG1には引渡請求権がある)のに猫ばばを決め込む輩も稀ではなかったらしく、この危険から連帯債権は利用が稀になったとする教科書も多い。第一、他の適切な法的手段があればわざわざ危ない道を行く者は通常あるまい。

 お手本にした国がそのようであるならば、なぜ今頃新たに制度を作ったのか。債務者の側(がわ)に規定があれば“釣り合い上”債権者の側にも対応した制度を設けなければ、とする必然性はない。債権者複数と債務者複数とでは“機能ないし存在理由”がまったく異なっているのを思い出そう。立案当局の解説を待って検討してみる値打ちがありはしないか。

(2017-08-12稿・未完)

 

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