◇SH3103◇シンガポール:新型コロナが契約の履行義務に与える影響について(1) 青木 大(2020/04/15)

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シンガポール:新型コロナが契約の履行義務に与える影響について(1)

長島・大野・常松法律事務所

弁護士 青 木   大

 

 新型コロナに関連して困難となった商業用不動産の賃料支払いを含む一定の契約の履行義務の一時的な猶予を認める法律(COVID-19 (Temporary Measures) Act 2020)が2020年4月7日、シンガポール議会において成立した。

 同法の概要は長谷川良和弁護士が既報の通りであるが(SH3098 シンガポール:COVID-19 暫定措置法の成立――契約上の義務不履行に係る暫定救済措置パートの解説)、同法においては、

  1. 1. 2020年2月1日以降に履行期限が到来する一定の契約上の義務について、
  2. 2. 債務者においてその履行が不能であり、その重要な理由が新型コロナである場合、
  3. 3. 債務者が債権者に対して法の定める方法による通知を行うことにより、
  4. 4. 担保実行、訴訟・仲裁の提起、倒産申立てその他の一定の行為(端的にいえば、履行を法的に強制しようとする行為)を、債権者が行うことが禁止される。
  5. 5. 上記禁止事項に違反した債権者には、刑事罰が科される。

 私的自治の原則の重大な変更であり、かつこれが遡及的に適用されるという点において、重大な私権制限といえる(なお、同法は2020年3月25日以降に締結された契約には適用されない。同日以降には新型コロナによる影響は広く世間に認知されており、当事者はそのような状況を理解した上で契約に至ったと考えられるからである。)。

 国際的な商業活動のハブを標榜するシンガポールにおいては、私人間の経済活動に対する国家による介入については慎重な姿勢が示されてきた。しかし、現下の新型コロナによる重大な経済への影響(シンガポールにおける建設業界の収益規模は2020年第1四半期において前期比23%減、タクシー運転手の2020年3月の収入は新型コロナ以前の状況に比して約50-60%減少、また一説によれば、この状況が6ヶ月以上続く場合には飲食業界は80%が廃業を余儀なくされる可能性があるとのことである。)、また、古くは大恐慌時代、近くはリーマンショック時に米国においてとられた支払猶予措置等の過去の諸外国における先例に鑑み、私的自治の原則と公共の福祉との間のバランスを十分勘案した上、現況は自由経済に委ねることは妥当ではないと結論づけ、本法の導入に踏み切ったものである。

 同法がカバーする契約は①商業用不動産の賃貸借契約等、②建設契約、③イベント、ツアー関連契約、④割賦払購入契約、⑤中小企業向けローン関連契約に限定される。中でも②、③については上記の禁止措置以外にも新型コロナに基づく遅延・キャンセル等についての特例が定められている。特に経済的影響の甚大な業種・契約形態に絞った形での適用となっているが、今後適用対象が拡大される可能性も残されている。

 本法の具体的な適用事例を挙げると、

  1. 1. 飲食店のオーナーは、新型コロナを重要な理由として店舗の賃料を支払えない事態に陥ってしまった場合、家主に通知を行うことで、賃料の支払の猶予を得ることができる。(なお、本法は支払余力のある借主の支払義務を免除するものではない。また、賃料の減額を要求する権利は認められない。)
  2. 2. 建設工事を請け負った建設会社は、同法適用期間中、工期の遅延が新型コロナを重要な理由として生じた場合、かかる遅延は契約違反事由とはならず、また遅延損害賠償の算定期間から除外される。
  3. 3. あるイベントが同法適用期間中に開催される予定であったものの、新型コロナを重要な理由としてキャンセルされた場合、顧客がイベント会社に支払った保証金の没収は禁じられる。(既に没収された保証金は原状回復される。)

 シンガポール法の下においては、債務者に帰責事由がない場合でも、原則として債務不履行の責めを回避することができない。例外的に「frustration」という理論に基づき債務の履行義務を免れる余地があるが、かかる理論の適用は相当程度限定されている。また、建設契約を含め契約においては不可抗力(Force Majeure)条項がおかれているケースが多いが、不可抗力条項の適用可能性については、契約文言の規定振り、契約当時の当事者の予見可能性、当該事象と履行不能との因果関係、履行不能を回避するために債務者が合理的にとり得る全ての措置を執ったか否か等が総合的に考慮されることになる。本法は、新型コロナに関連する事象に基づく履行遅延について、上記frustrationの要件を相当程度緩和し、また不可抗力条項にまつわる債務者側の主張立証責任を相当程度緩和し得る立法措置といえる。

 本法の適用に関し、当事者間において争いがある場合には、極力当事者間にて履行の延期を含めた柔軟な解決が期待されるが、解決に至らない場合には、国によって任命される査定人(Assessor)にその判断が委ねられることになり、今後、計100名程度の査定人(弁護士、会計士等が想定される)が任命される予定である。査定手続は今後詳細が定められることになるが、簡易・迅速・低廉な手続が予定され、また上訴は原則として認められない。更には、同手続には弁護士による代理が認められないという特徴がある。

 次回は、上記「frustration」及び不可抗力(Force Majeure)条項の解釈についてのシンガポール法の原則的な立場について解説を行う。

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