タイ:ロールス・ロイス社事件にみる贈収賄と域外適用のリスク
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 箕 輪 俊 介
2017年1月16日、ヨーロッパの航空エンジンメーカーの最大手のひとつである英国企業、ロールス・ロイス社は、同社がビジネス獲得のため世界各国の外国公務員に贈賄したとして米国、英国及びブラジルの各当局から訴追されていた案件について、各国の当局に対して合計約8億ドル(現在の為替レートで日本円に換算すると約890億円)を支払うことで各国当局との間で訴追延期合意(Deferred Prosecution Agreement)に達した旨発表をした。
2017年1月17日に英国重大不正捜査局(Serious Fraud Office (SFO))や米国司法省が発表したところによれば、ロールス・ロイス社は英国SFOに対して約4億9725万ポンド(約670億円)、米国司法省に対して約1億7000万ドル(約190億円)、ブラジル当局に対して約2,550万ドル(約30億円)をそれぞれ支払うとのことである。この訴追延期合意は同日、英国裁判所にて承認された。本件にてロールス・ロイスが英国SFOへ支払う金額は、英国SFOが企業1社に対して科した罰金としては最大の金額となる。
本件で問題となった贈賄行為は1989年から2013年に渡って行われていたとされ、贈賄行為が行われた地域は、インド、インドネシア、マレーシア、タイの南アジア・東南アジアをはじめとして、中国やカザフスタン、アゼルバイジャンといった東アジア・中央アジア、アンゴラ、ナイジェリアといったアフリカ諸国、その他ブラジルやロシア等の世界各国に及んでおり、その贈賄総額は確認ができるものだけでも3,500万ドル(約40億円)を超えるものとされている。
この決定をみて、注目すべき点は2点である。
ひとつは、米国の海外腐敗行為防止法(Foreign Corrupt Practices Act (FCPA))や英国の贈収賄法(Bribery Act)の域外適用が、現実に執行されており、適用された場合の金銭的インパクトが非常に大きいということを再認識させるものであることである。今回の贈収賄行為はいずれも米国及び英国の国外で起きたものであるが、両国の贈収賄規制が適用されている。英国の当局であるSFOは2012年当時から4年以上に渡り、約1,300万ポンド(約19億円)相当のコストをかけ、70名以上の職員を割いて捜査をしており、米国もFBIの協力を得て捜査を行っていることから、両国外で起きた事件であるにも拘わらず、両国共に本腰を入れて捜査がなされていたことが伺える(このことは、英国での判決やSFOが公表した訴追延期合意、米国司法省の公表文のトーンや、記載された事実関係の精緻さからもうかがい知れる。)。また、米国司法省の公表によれば確認できている贈賄額自体は約3,500万ドル(約40億円)であるのに対し(この金額自身も決して少なくないものではあるが)、和解額は上記のとおり非常に高額となっている。
このことからいえることは、①世界のどこの国で起きた贈収賄行為も、米国や英国の贈収賄規制の対象となる可能性があり、そのインパクトは非常に大きなものになりうること、②地域によっては文化的な問題やリテラシーの観点から贈収賄が起きやすい地域もあるが、上記のとおり地域に拘わらず米国や英国の贈収賄規制の域外適用を受ける可能性があることからすると、かかるリスクを排除するために地域を問わず贈収賄トラブルに巻き込まれないようにグローバルなコンプライアンス体制を設けることは必須であろうということである。特に、タイやインドネシアのような外資規制がある国では、事業を行うにあたり地場のパートナーと組まざるを得なかったり、ローカルのエージェントや販売業者を利用しなければならなかったりする場合もある。このような場合においては地場のパートナーが贈収賄を行わないような体制作りも必要になってくるであろう。
もうひとつは、実際に贈収賄が起きた各国の動きである。東南アジアに目を向けると、インドネシア、マレーシア及びタイにおいて贈収賄があったとされており、インドネシアでは実際に当局が動き、インドネシアの反腐敗当局はガルーダ空港の元CEOを贈収賄容疑者として公表している。
タイにおいては、まだ具体的な訴追行為にまでは発展していないが、ロールス・ロイス自身が米国の当局に対して、エージェントを通じてタイ航空の従業員らに約1,100万ドル(約15億円)を渡したことを認めていることもあり(英国の判決では1991年から続いていた詳細な贈賄の事実が認定されている)、当局が調査を開始せざるを得ない状況となっている(現に調査を開始している)。このように、これまでは当局の高官に対する贈収賄の取り締まりについて積極的ではなかったような(語弊をおそれずにいえば、現地当局が“見て見ぬふりをしていた”)地域であっても、英国や米国で摘発の対象となった場合には、それを契機に、現地法に基づく調査・摘発が行われる可能性がある。現地法に基づく調査・摘発が行われれば、現地法固有の問題が顕在化する。例えば、タイでは、米国や英国の贈収賄規制において認められている訴追延期合意のような司法取引制度がなく、贈賄罪を犯した場合は身体刑を科される可能性もある。このことからすれば、各国の贈収賄規制も踏まえて確固たる体制作りが行われるべきであろう。