◇SH3104◇シンガポール:新型コロナが契約の履行義務に与える影響について(2) 青木 大(2020/04/16)

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シンガポール:新型コロナが契約の履行義務に与える影響について(2)

長島・大野・常松法律事務所

弁護士 青 木   大

 

 本稿においては、前稿に続き、シンガポール法上の①「frustration」の理論及び②不可抗力(Force Majeure)条項の解釈についての解説を行う。

 

1. 「frustration」

 「frustration」とは、コモンロー上の概念であり、「契約目的の達成不能」などと訳される。契約締結後、当事者が予見不能な、いずれの責めにも帰しえない事由により契約の目的が達成不能となった場合にこれが成立し、契約及びそれに基づく両当事者の債権債務はそれ以後消滅するというのが一般的な理解である。

 シンガポールにおいては「Frustrated Contracts Act」という法律が1959年に制定されており、frustrationが生じた場合の効果の詳細が定められている。例えば、ある契約についてfrustrationにより履行が不可能となり、両当事者がその後の契約の履行から解放されるに至った場合、金銭の支払義務を負うものはその義務を免れ、また既払いの対価があれば原則としてこれを取り戻すことができる(同法2条2項)。ただし、他方当事者がfrustration事由発生前に履行に関して既に一定の支出を行っていた場合、裁判所が正当と認める範囲において当該支出分についての保持又は相手方への請求が認められる(同法2条3項)。また、一方当事者が契約の履行に関する相手方の行為により一定の利益を得ていた場合、相手方は裁判所が正当と認める範囲においてそれを取り戻すことができる(同法2条4項)。

 ただし、同法はfrustrationの成立要件を特段定めるものではなく、それは判例に委ねられているが、判例上、frustrationが認められるケースは相当制限されている。すなわち、frustrationが認められるのは、契約履行の時点における状況が契約時とは根本的に異なる(radically different)ものとなったことにより、契約の履行が不可能(incapable)となるような場合であり、状況の「根本的な変化」とは、単に履行に要する出費が増えた、あるいは履行に困難が生じたというだけでは足りず、ある突発事象が契約上の義務の性質を契約締結時に予期し得たそれから重大に変更するものであり、契約の文字通りの履行を認めることが不当な場合に限られるとされる[1]。このように、frustrationの成立には、量的ではなく、質的な義務の根本的な変化が求められる。

 例えば、ある突発事象により、契約の履行に必要な製品の調達費用が増加したということだけでは、基本的にはfrustrationを構成しない。それがfrustrationを構成し得るのは、天文学的な増加(astronomical)な場合、例えば、調達価格が100倍に達したような場合に限られるとされる[2]

 他には、以下のような英国裁判例が参考になる。

  1. 1. 請負者は地方自治体との間で、固定金額により78の家屋を8ヶ月で建設する契約を締結した。請負者は入札段階においては、十分な労働力が確保できることが契約履行の条件であることを明示していたが、最終契約にはそのような条件は付されなかった。ところが、十分な労働力が確保できなかったために、結局工事は22ヶ月を要し、請負者はfrustrationを主張したが、裁判所は契約時点での予測不能な事象が単に契約の履行を困難にしたということだけではfrustrationは成立しないとした[3]
  2. 2. 倉庫の賃貸契約を期間10年で結んでいたところ、契約期間5年経過後、倉庫に唯一車両がアクセスできる道路が地方自治体により12ヶ月間閉鎖され、倉庫の利用が難しくなったことで、借主は同期間のfrustrationの成立を主張したが、裁判所は、倉庫の利用自体は依然可能であったのであり、利用に際して追加出費や利用の困難性が生じただけではfrustrationは成立しないとした[4]
  3. 3. ある売買契約の履行に際し、1956年にスエズ運河が閉鎖されたことで喜望峰経由での輸送を余儀なくされ、輸送費が倍増したことにより、売主がfrustrationの成立を主張したが、裁判所は、そのような輸送経路の変更は契約の履行が根本的に異なるものになったとは評価できず、frustrationには該当しないとされた[5]

 なお、シンガポールにおいては、2007年1月にインドネシア政府がコンクリート用砂の輸出を禁じたことにより、シンガポール国内における建設工事の履行(とりわけ砂の調達)が著しく困難となった事例についてfrustrationの成立を認めた裁判例がある[6]。この事例においては、契約上はインドネシア産の砂を用いるべきことは明記されていなかったものの、当事者はそれを想定していたことが関連事情から認定され、さらに禁輸措置により請負者においてインドネシア産砂の調達が事実上不可能となったこと、また請負者が履行不能回避のためにとろうとした措置が不合理なものではなかったことなどを丁寧に認定した上で、frustrationの成立が認められたものである。

 このように、frustrationが認められるケースがないわけではないものの、基本的には相当例外的であるといえ、その適用可否は事案毎に慎重な検討が求められる。

 

2. 「Force Majeure」

 他方、Force Majeure条項は、不可抗力又はこれに類する事象が生じた場合に、当事者が一定の義務の履行を免れることを契約上当事者が合意するものであり、Force Majeureの適用可能性は、まず一義的には契約の規定振りによることになる。Force Majeure条項の規定振りは契約により様々であり、該当事象及び効果を事細かに記載している例もあれば、広く当事者がコントロール不能な事由について義務の履行を免れるという概括的な記載ぶりとなっている場合もあろう。ある一定の突発事象についてForce Majeureを主張する当事者としては、まずは当該突発事象が契約上のForce majeureに該当するかどうかの立証が求められる。契約文言上これが必ずしも明らかではない場合は、当事者の予測可能性を契約当時の状況等に照らして勘案しつつ、その該当性が判断されることになる。

 そして、Force Majeureの存在が認められる場合のその効果も契約により異なるものになる。端的に一定期間の履行の猶予(あるいは予定遅延損害賠償金の免除)が与えられるものか、あるいは履行が完全に免除されるのか等についても、基本的には契約の規定振り次第である。

 さらに、契約の履行不能が突発事象により生じたことの因果関係の立証が必要となる。また、履行不能が不可避であったといえるためには、当事者が履行不能の回避のためにとり得る合理的な措置を全てとったことの立証も必要となる。かかる因果関係の立証は一般的には容易ではない場合が多い。例えば、建設工事の遅延や製品の納入不能は複数の理由が競合して生じる場合もあり、明確に当該突発事象との因果関係を説明することは困難である場合も多いからである。

 この点、新型コロナに関する新法は、新型コロナを「重要な理由として」(to a material extent)契約履行が不能となった場合に適用があるという形で立証責任を相当程度軽減している。この要件は、シンガポール議会における司法大臣の答弁によれば、

  1. 1. 新型コロナが有意義的に(meaningfully)履行不能を生じさせた場合を指し、
  2. 2. 新型コロナが支配的な理由(dominant cause)である必要はないが、
  3. 3. その理由が疎遠(remote)であったり、重要でない(insignificant)場合は含まれない。
  4. 4. ただし、理由が複数ある場合であっても、新型コロナが重要な(material)理由である限り、この要件に該当する

とされる。かかる要件は具体的事案を通じて更に精緻化されることが期待されるが、このような規定の仕方は、今後の契約ドラフティングの観点でも参考になるものと思われる。

 Force majeure条項の解釈に関するシンガポールの裁判例として以下のようなものが挙げられる。

  1. 1. 原料不足等の一定の事由の発生によりコンクリートの供給が妨げられた(disrupted)場合には供給者は責任を負わないというForce Majeure条項について、「disrupted」という文言は、「prevent」と規定されている場合よりも履行の困難性は低いもので足り、また実際に履行には相当程度の困難が生じていたものとしてForce Majeureの適用が認められた事例[7]
  2. 2. ソ連邦の崩壊により、ある製品が中国からロシアに輸出することが不可能となった事例について、ソ連邦崩壊の状況をForce Majeure条項中の戦争「war」に相当するものとして、その適用が認められた事例[8]
  3. 3. 同じくソ連邦の崩壊によりある製品(上記とは別の製品)のロシアへの輸出が困難となったものの、それが不可能になったという証明までは果たされていない場合において、Force Majeureの適用が認められなかった事例[9]


[1] Alliance Concrete Singapore Pte Ltd v Sato Kogyo (S) Pte Ltd [2014] 3 SLR 857

[2] Holcim (Singapore) Pte Ltd v Precise Development Pte Ltd and another application [2011] SGCA 1

[3] Davis Contractors Ltd v Fareham Urban District Council [1956] AC 696

[4] National Carriers Ltd v Panalpina (Northern) Ltd [1981] AC 675

[5] Tsakiroglou & Co Ltd v Noblee Thorl GmbH [1962] AC 93

[6] 前述のAlliance Concrete

[7] 上記Holcim

[8] China Resources (S) Pte Ltd v Magenta Resources (S) Pte Ltd [1997] 1 SLR(R) 103

[9] Glahe International Expo AG v ACS Computer Pte Ltd and another appeal [1999] SGCA 23

 

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