◇SH0061◇シンガポール:「SICC」構想 青木 大(2014/08/20)

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シンガポール:「SICC」構想

長島・大野・常松法律事務所

弁護士 青 木   大

 2014年6月6日、シンガポール国際仲裁センター(SIAC)の年次総会的イベントである「SIAC Congress 2014」が、多数の各国仲裁実務家を集めて開催された。シンガポール外相兼法相の基調講演で始まった同会議の、特にその前半において話題の中心となったのは「SICC」構想であった。

 「SICC」と聞いてシンガポールの駐在員がまず最初に思い浮かべるのはゴルフ場かもしれないが、ここでいう「SICC」とは「Singapore International Commercial Court」(シンガポール国際商事裁判所)のことである。

 SICC構想は2013年初頭にSundaresh Menon最高裁長官により提唱された、国家の枠組みを超えた商事分野に関する裁判所の設立構想である。シンガポールは国際仲裁の分野において近年成功を収めてきたが、アジアにおける紛争解決ハブとしての立場をさらに確立するための目玉政策としてSICC構想は位置づけられているようである。

 2013年5月に司法省の下に設立されたSICC検討委員会は、同年11月付けで報告書を発表した。これによると、SICCはシンガポール最高裁の一部門となるが、その裁判官はシンガポールの裁判官に加えて、任期付きの外国人裁判官の採用も検討されているようである(このような柔軟な裁判官選任措置を実現するために必要となる憲法改正まで提唱されている。)。当事者がSICCの判断に服することを合意した案件等がSICCにおいて扱われることとなるが、シンガポールとの関連性に乏しい国際的案件(詳細はまだ未定であるが、シンガポール法が準拠法でなかったり、あるいは逆に準拠法がシンガポール法であるということ以外にシンガポールとの関連がないような案件とされている。)については、外国法弁護士による代理を認めることも検討されている。これらに対応する憲法、裁判所法、弁護士法等の改正案は2014年4月8日~30日の期間でパブリックコメントに付された。

 同報告書においては、国際仲裁の有用性は認めつつ、そのコスト、多数当事者間の紛争解決への対応、一定の不法行為類型や知的財産権に関わる紛争など必ずしも仲裁による解決になじまない分野への対応等に関する問題が指摘されており、SICCはこれを補完する役割が期待されている。国際仲裁のお株を奪うことを意図したものでは(少なくとも表向きは)ないようである。

 ただ、SICC構想の最大のハードルはその執行可能性の確保にあると思われる。国際仲裁は曲がりなりにもニューヨーク条約により仲裁判断の執行が一応担保されている(ただし、執行可能性は究極的には各国国内法に委ねられるところであり、国によっては執行に問題が残る場合もある)のに比べ、裁判所の判決についてはこのような国際的な執行の枠組みが確立されておらず、一般的には仲裁判断よりも執行面で問題が生じる場合が多い。

 ただし、例えば旧大英帝国圏諸国においては判決の相互執行の枠組みも存在するようである。特に裁判遅延とその判断妥当性に疑問が頻繁に呈されるインド裁判所の実質的代替機関としての存在意義が今後クローズアップされる可能性がある。まずはインド案件を足場としながら(ただしインドがそのような状況を今後許容し続けていくのかどうかは注意が必要であろう)、外交交渉努力等によって相互執行の拡大を図り、中長期的にアジアの紛争解決の中心的フォーラムとなることを目指していこうという算段とも考えられる。

 実際のところ、諸外国が実質的に主権の一部を明け渡す結果になりかねないような構想に今後積極的に協力するかどうかは、未知数であるといわざるを得ない。しかし他方で、発展するアジア経済圏における法制度のハーモナイゼーションの必要性も明らかである。そこは頭の良いシンガポール政府関係者の考えること、費用対効果も冷徹に見極めた上での野心的な構想なのであろう。

 翻って日本当事者の立場から考えてみると、例えばインド国内での執行が確保できる限りにおいて対インド投資案件についてSICC管轄条項を組み込むことは一考に値する。しかし、日本において執行が確保される状況とならなければ、相手方インド企業がこれに合意することは考えづらい。SICCが国際仲裁と比しても低廉・迅速・公平な紛争解決手段となり得るのであれば、他国の状況も踏まえつつ、SICC判決の日本国内の執行を確保する更なるコミットメントを日本政府が行うことも、日本の投資家保護政策の一環として今後考えられるのかもしれない。

 国際仲裁は今のところ最善の国際的紛争解決手段であるが、特にコスト面を含め完全に理想的なものとまではいえないこともまた事実といわざるをえない。SICC構想はまだまだ生煮え感が拭えないものの、紛争解決ツールの間にも競争が持ち込まれることにより、各ツールがよりよいものとなっていくのであれば、少なくともそれはユーザーにとって有益なことであろう。

 

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