(第56号)
企業法務よしなしごと
・・・ある企業法務人の蹣跚・・・
平 田 政 和
【終わりに】
この連載を終わるにあたって、いわゆる「スランプ状態」について考えておくのもいいかも分からない。
広くはサラリーマンやサラリーウーマン、狭くは企業法務パーソンにスランプがあるか否か、ある時点で自らがスランプ状態に陥っているかどうか、といったことについては現役であった45年間に考えたことはなかった。特に、働き盛りと言われている年代では、このようなことを考える暇というかゆとりの時間は、私自身は持てなかった。
今考えればスランプというべき時期もあった筈であるが、「45年間、周囲の環境や自らの状態がどのようなものであっても、与えられた業務はその時点の私の力の及ぶ限り果たしてきた。スランプなど経験したことはない。」と思っていた。しかし、振り返ってみると、そう言い切れるものではないようだ。
ふと気が付くと一ヶ月間も本を読まず、机に向かう時間もほとんどなく、仕事自体や仕事に直接関係のあること以外には興味や関心を向けず、時を過ごしていた、ということもあった。
これがスランプだったのだろう。
しかし、この間も自己判定では、仕事をきっちりとこなし、友人とのアフター・ファイブも楽しんでいた。ただ、この期間は、知的な、創造的な活動へ向かうという気持ちや気力が湧いてくることはなかったように思う。
このようなことに気が付いたときに私はどのようにしていたのだろうか。思い返すと、気楽に読める書物を何冊か読み、スランプ脱出の手助け、活字を読むことの助走、としていたようだ。
具体的に思い出してみると、①普段は手にすることもない、サラリーマンやサラリーウーマンを読者層とした気楽に読めるハウツー本、②ほとんど全てを揃えている書誌学者谷沢永一氏の著書の中から過去に読み、示唆を得たことを記憶している文章が含まれている幾つかの短編、③曽野綾子氏のキレのいいエッセイ、④丸谷才一氏の「男のポケット」を始めとする博覧強記、蘊蓄溢れる、実に上手い文章がどこをとっても現れるエッセイや日本文学に関する各種の論考、⑤池波正太郎氏の小品や短編、⑥内田康夫氏の浅見光彦シリーズ、⑦手元にある詩集の中の明治・大正期の幾つかの詩など、を読んでいたようだ。
そうそう⑧子供のためという名目で買った「ドラえもん」や、大きくなった子供たちが買ってきた「美味しんぼ」も愛読書の一つだった。
これらの書物をランダムに手にしているとその内に業務に関係のある書物や論文を読みたくなる。そのようにして元の生活に戻ったようだ。
これもスランプの一種なのかどうか知らないが、こころが鬱屈しているときによく足を向けたのは、我が家から歩いて10分ほどのところにある「下町の古本屋」という表現がぴったりの古書籍商だった。
店にはいると静かにクラシック音楽が流れており、プーンと古本特有の匂いが鼻を突く。店主はちらっと私を眺めるが、挨拶をするでもなく黙って手元の難しそうな本に目を落とす。私は文字どおり天井まで溢れかえっている書物の背表紙をゆっくりと眺め始める。段々と気分が落ち着いてくる。
普段は素通りする宗教関係の本が並んでいる棚を眺めているときに、中に紛れ込んでいた河合隼雄氏の「こころの処方箋」が目に付いた。
何気なく手にとり「ふたついいことまずないものよ」で始まる文章を見つけ、その場で読んだのも懐かしい思い出である。こころが鬱屈している私を呼んでくれたように感じたものである。
スランプに陥ったときやこころが鬱屈しているときには身体を動かすとよいのかも分からない。
仕事や仕事に直接関係のあること以外に心が向いていないと感じていたときは、趣味としているラケットボールのコートに向かう回数が増えたようだ。
スポーツクラブに行き、いつもより長時間、練習や試合をする。思い切り球を打ち、バキューンという音を聞き、汗を流す。帰りには試合相手の若者を誘い、焼き鳥屋でつい先ほどのプレイのあれこれについて話しながらジョッキを傾ける。
このようにして精神的な悩みを吹き飛ばしたこともあったようだ。
妻は私のこのような状態に気が付いていた筈であるが、私に対する態度はいつも同じで優しく心配りが溢れたものだった。
ドウダンツツジは「漢字では“満天星”と書く」と教えてくれたのはこのようなときだった。特に意味はなかったと思うが、私は今でも晩秋に真っ赤に紅葉したドウダンツツジを見るとそのときのことを思い出す。(次号に続く)
(以上)