銀行員30年、弁護士20年
第1回 銀行員から弁護士になる
弁護士 浜 中 善 彦
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私は東京オリンピックのあった昭和39年(1964年)4月に大学を卒業して、当時の富士銀行(現みずほ銀行)に入行した。平成6年(1994年)4月末、30年間勤務した銀行を定年退職となり、出向先の富士総合研究所(現みずほ総研)に転籍した。運よくその年の10月に司法試験に合格した。同年の最高齢合格者であった。翌年、富士総研を退職して2年間司法修習を受け、平成9年弁護士登録をして、富士総研に復職した。平成26年(2014年)で、修習期間も通算すると銀行員30年、弁護士20年である。
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弁護士になったのに格別の理由があったわけではない。というのも、学生時代、法曹や公務員になろうと思ったことはなく、そのため、民訴・刑訴の両訴を選択する必要のない政治コースを選択したので、訴訟法は全くの素人であった。現在でいう、司法試験受験者の未習者である。
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受験のきっかけは、43歳か44歳の時、銀行の支店や本部勤務等の現場から離れて、初めて定時出勤、定時退社の経験をした。いわば、窓際であるが、それまでにない経験であったので、この機会に何かしようと考えた。まず、従来、土、日だけであったプール通いを、平日にも2日間は通うことにした。そのほか、毎土曜日、近くの曹洞宗のお寺である午前8時からの早朝坐禅に通うことにした。これらはそれ以来、現在も続けている。そのほかにも、何かまとまったことをしたいと考えた。公認会計士試験も考えたが、司法試験が日本で一番難しい試験ということだったので、これに決めた。特に定年後に備えるとか、弁護士になって何かをしようとかしたいと考えたわけではない。合格について自信があったわけではないし、どうしても合格しなければというほどの気持もなかった。
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また、銀行員時代、弁護士との付き合いはなかったわけではないが、弁護士の仕事についての認識も知識もほとんどなかった。むしろ、社債受託の仕事をしていた時、株主総会で決議した転換社債発行を取締役会決議で取りやめにできるか、あるいはスイス外債発行の時のコントラクトレビューの折などに接触した弁護士は、いずれも高名な弁護士事務所の弁護士であったが、弁護士は実務ではほとんど役立たずだというのが偽らざる印象であった。取引先の不動産業者が、医者と弁護士は最高の教養、最低の人格だと言ったのを妙に納得した記憶がある。というのは、個人の融資先として接触したこれらの業種の人たちは、借りてやっているといった風な、いかにも尊大な態度の人が少なくなく、あまりいい印象がなかったからである。
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そんな次第であったから、何が何でもと思ったわけではないが、運よく定年の年に試験に合格してもう20年(実際は21年)にもなる。弁護士になってからは、弁護士以外の仕事もする機会にも恵まれて、10年間の努力以上の思いもしなかった経験と恩恵を受けている。いまは、弁護士になって本当によかったと実感している。
以上