銀行員30年、弁護士20年
第6回 銀行で教わったこと
弁護士 浜 中 善 彦
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銀行員として、銀行で教わったことは多い。札勘(さつかん:お札の勘定の仕方)やそろばん等は今は何の役にも立たないが、当時は、当たり前と馬鹿にしていたようなことが、今になってみると、ずいぶんとよかったと思えることが多い。
たとえば、使わない部屋の電気は必ず消す、接客の場合の席順といったようなことである。こんなことは銀行員に限らず、大手企業のサラリーマンにとっては当たり前のことであるが、弁護士にとっては必ずしもそうではないようである。節電中とあるのに空席の電気スタンドの電気がつけっぱなしであったり、客が座るべきところに弁護士が堂々と座っていたりすることは珍しくない。
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しかし、とりわけお世話になったのは、入行店で鍛えられた、当時の融資課長日沼聡氏である。今でも現役の弁護士として仕事ができているのは、日沼課長のお蔭であると感謝している。
私は、昭和39年に富士銀行(現みずほ銀行)の丸ノ内支店に入行した。丸ノ内支店は、当時200以上あった富士銀行の支店の中で第5位の預金量を持つ大店舗であった。大店舗と書いたが行員は80名ほどで、メインの取引先は、日本石油グループであった。そのほかも大手町、丸の内に本店のある大企業が取引の大半を占めていた。2年くらいは計算係、預金係、出納係等支店内部の事務部門の担当であった。その後融資課に配属され、複数の取引先の担当をした。担当先には、極洋捕鯨その他の大手企業もあったが、私の担当はいずれもメイン先ではなく、いわゆる付き合い先であった。簿記も会計も全く勉強したことがなかったので、日沼課長から、融資に配属されるかもしれないのに、簿記、会計も勉強していないのかといわれ、沼田嘉穂の「簿記教科書」と記帳練習帳を買って勉強した。稟議は、毎回細かくチェックされ、何度も書き直しをさせられた。そのため、文章の書き方の本を何冊も読んだほか、400字詰め原稿用紙を買って、タイトルと字数を決めて文章を書く練習をした。そのお蔭で、現在でも、タイトルと字数をいわれると、2,000字程度であれば、構成を特に考えることなく書いて、ほぼその字数になるように文章を書く自信がある。
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最初のうちは、流動比率がどうだとか、資金移動表の作成でその会社のことをなんとなくわかったつもりでいた。しかし、日沼課長からは、そうではなく、その会社の取扱商品、業界知識、取引の実態等の理解があって初めて会社を理解できるのだといわれた。その意味は、融資の可否を判断するには、財務分析だけでは駄目である、その数字の実態についての理解が不可欠であるということである。そのため、平凡社の世界大百科事典を買って、取引先の取扱商品を調べた。極洋捕鯨については鯨について、次に配属になった蠣殻町支店では酒卸を担当したときはビールやウイスキーについて調べて、ビールが古代ローマ時代からあったことなどを知った。その教えは、弁護士になっても貴重な教訓として今でも忘れていない。依頼者や相手を理解すること、準備書面を書くときの文章の書き方等はいずれもその時の教えの賜物である。
以上