◇SH0286◇銀行員30年、弁護士20年 第19回「若い受験生との交流」 浜中善彦(2015/04/14)

法学教育そのほか未分類

銀行員30年、弁護士20年

第19回 若い受験生との交流
 
弁護士 浜 中 善 彦
 

 受験勉強を始めて4、5年たったころであろうか、大学の図書館や予備校で若い受験生数人と顔なじみになった。その中には、裁判官になったN君や、弁護士になったT君、S君、M君やK君などがいた。
 いつ頃だったか記憶にないが、知り合って間もなく、時々自宅で焼き肉を食べながら飲んだり食べたりするようになった。当時私は銀行員であったが、若い受験生が、あまりちゃんとした食事をしていないらしいことを知って私から誘ったのであった。
 いつも、たいてい3、4人だったと記憶するが、工学部出身で、大手上場企業出身のT君が一発合格して、その後も毎年その仲間から合格者が出るようになった。誰が言い出したのか知らないが、私のうちで食事をすると合格するといった者がいるとかで、知らない受験生も来ることもあった。
 

 合格者のうち、裁判官になったのはN君だけだったが、N君は下宿が自宅に近かったので、他の受験生とは別に、時々うちで一緒に夕食をした。大変やさしい人柄で、子供たち2人もずいぶん彼にはなついていた。
 そういった縁で知り合った弁護士とは、今でもお付き合いがある。S君は、司法試験考査委員、第二東京弁護士会(二弁)副会長等を務めた。私が現在、原後綜合法律事務所に籍を置かせてもらっているのは、S君との縁による。仕事の上でも、平成18年(2006年)5月に申立てを行った東京臨海三セクの民事再生申立事件は、過去最大の民事再生申立事件であったが、弁護人代表である私の補佐役として、実質的な事務責任者の役割を果たしてくれた。K君も二弁の副会長を務めたほか、現在も日弁連その他の会務を担当している。M君は、郷里の佐賀の弁護士会会長を務めた。その他、郷里に戻って弁護士活動をしている人もいるが、いずれも立派な法曹として活躍している。
 しかし、知り合ったのがそういった縁なので、今でも妻は、S君のことを真チャン、K君のことをかんチャンなどと呼んでいる。
 

 銀行員時代知り合った人たちのうち、現在でも続いているのは、年1回の同期入行者との同期会と銀行OB会だけである。取引先の人たちとは、一切お付き合いはない。取引先の人たちとの関係はビジネスという利害を伴った関係であるから、ビジネス上の付き合いがなくなれば、それでおしまいである。人によっては、退職後もお付き合いがある人もあるかも知れないが、私は私的な交際は一切しなかった。支店ではずっと融資担当であったから、接待、交際は仕事としてずいぶん経験したが、仕事がお金を扱う仕事であり、公私の別はきちんとしておくべきだと考えていたからである。
 

 それに比べると、受験生仲間とは利害関係はなく、文字通り、人間同士の付き合いであった。そのため、現在でも親しく付き合ってもらっているだけではなく、彼らとの交友関係があることで、仕事の上でも共同受任してもらうなど、ずいぶん助けてもらっている。それだけではなく、彼らとの縁で新たな人間関係もできるなど、その恩恵は計り知れない。これは、司法試験合格だけではなく、受験で得た思いもかけない財産である。現役受験生との関係は私が合格して以来なくなった。しかし、現在でも、時々、若い人たちに何か役立てることはないだろうかと考えることがある。
 
以上
 
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