インド:緊急仲裁判断の執行に関するインド最高裁判決(3)
長島・大野・常松法律事務所
弁護士 梶 原 啓
3. 本判決の位置付け
本判決の第1の論点たる、緊急仲裁人の暫定措置を国内裁判所が執行できるかどうかという点は、2006年改正後のUNCITRAL国際商事仲裁モデル法においても取扱いが明確ではない。同モデル法に一応準拠しているインド仲裁法上も、上述のとおり、この点が明確ではなかった。ちなみに日本仲裁法も同様に緊急仲裁人への言及はない[4]。他方、アジアの仲裁地として人気のあるシンガポールや香港においては緊急仲裁人に関する規定を含む法令があり、この点の解釈は比較的明確と考えられている[5]。国際仲裁実務において有力な見解は、たとえ国内仲裁法が明確に定めておらずとも、緊急仲裁人の暫定措置も裁判所が執行すべき暫定措置に含まれると解すべきというものであった[6]。インド最高裁の本判決の考え方は、基本的にこの見解と軌を一にするものである。
インドでは裁判所の係属事件過多と審理の遅延が長らく問題とされてきた。最高裁は、第1の論点について、緊急仲裁人が処理すべき救済の実効性を尊重し民事裁判所の負担軽減を図るとともに、第2の論点についても、裁判所による緊急仲裁判断の執行に対する上訴を認めないことにより、裁判手続を徒に長引かせかねない解釈を斥けたといえよう。インドを仲裁地とする機関仲裁を定める仲裁合意の当事者にとっては、本判決によって、より不確実性を排除した形で緊急仲裁の申立てを戦略的に選択することが可能になるため、本判決は好意的に受け止められることになると考える。
ただし、注意を要するのは、インド国外を仲裁地とする仲裁における仲裁廷の暫定措置については、インド裁判所が仲裁廷の暫定措置(緊急仲裁判断を含む)を執行するかどうかについて不確実性が残る点である。この不確実性は、外国を仲裁地とする仲裁判断の執行に関するインド仲裁法第2部において同法第17条 ⑵ と同様のメカニズムがないことに起因する[7]。日本企業にとって、インドの当事者との契約において、中立第3国仲裁地としてシンガポールを選択する例は少なくない。他方、本判決を含めたこれまでの裁判例を踏まえると、緊急仲裁判断の実効性を重要な考慮要素に据えた場合、インドを仲裁地とする場合に比べて仲裁地としてのシンガポールが一方的に優れていると言い切れる状況には至っていない。この仲裁地選択の場面に加えて、暫定措置について緊急仲裁人制度を利用するのか、それとも国内裁判所を利用するのか[8]という判断に際しては、インドの仲裁法制と判例法理の今後の展開を無視することはできない。
以 上
[4] 法制審議会仲裁法制部会「仲裁法等の改正に関する中間試案」(2021年3月5日)(https://portal.shojihomu.co.jp/wp-content/uploads/2021/11/001344407.pdf)においても現状、緊急仲裁人への言及は見送られている。
[5] Singapore International Arbitration Act, §2 ⑴(仲裁廷の定義に緊急仲裁人を含める規定)、Hong Kong Arbitration Ordinance, §22B(緊急仲裁人の暫定措置を執行するための特定の仕組みを規定)。なお、Gary B. Born, International Commercial Arbitration 2709(3d ed. 2020)も参照。
[6] Born, supra note 5, at 2709-10.
[7] 本稿に登場したインド仲裁法第17条及び第37条はいずれもインド国内を仲裁地とする仲裁に適用のある同法第1部に含まれる。
[8] インド仲裁法第9条 ⑴ によれば、仲裁手続開始前若しくは仲裁手続中、又は仲裁判断後執行前に、当事者がインド裁判所に対して暫定措置の発動を求める選択肢も与えられている。インド国外を仲裁地とする仲裁の当事者による同条の利用の当否も慎重な検討を要する論点であり、関連裁判例の1つとしてAshwani Minda v. U-shin Limited, 2020 SCC OnLine Del 721がある。
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(かじわら・けい)
国際商事仲裁及び投資協定仲裁をはじめとする国際紛争解決を扱う。日本国内訴訟にも深く関与してきた経験をいかし、アジアその他の地域に展開する日系企業と協働して費用対効果に優れた複雑商事紛争処理に尽力する。2013年弁護士登録(第一東京弁護士会)、長島・大野・常松法律事務所入所。2019年ニューヨーク大学ロースクール修了(LL.M. in International Business Regulation, Litigation and Arbitration; Hauser Global Scholar)。Jenner & Block LLPでの勤務を経て、2021年1月から長島・大野・常松法律事務所シンガポール・オフィスにおいて勤務開始。
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