文化芸術分野におけるフリーランス・事業者間取引適正化等法の
適用課題(下)
レイ法律事務所
弁護士 佐 藤 大 和
Ⅰ はじめに
本稿が文化芸術分野における「特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律」(いわゆるフリーランス新法。以下、「フリーランス・事業者間取引適正化等法」あるいは単に「新法」という。)の適用課題の最後になるが、最後は、「買いたたきの問題」と「安全配慮に関する問題」について触れたい。
Ⅱ 買いたたきの問題
1 フリーランス・事業者間取引適正化等法では、買いたたきを禁じる旨の定めを置いているが(同法5条1項4号)、現状の日本では、実演家やクリエイターに対して、適切に対価が還元されることを直接実現する法制度はない。
この点については、閣議決定において、「エンターテイメント業界における実演家・クリエイターの権利保護や労働慣行是正に向け、『文化芸術活動に関する法律相談窓口』の体制強化を図る」「クリエイターは発注業者との関係において劣位な立場に置かれることが多く、事前に業務内容や報酬額、支払時期等が十分に明示されないまま不利な条件の下で業務に従事せざるを得ない状況があるため、この秋施行されるフリーランス・事業者間取引適正化等法の活用を図る」とされているところ[1]、解釈ガイドラインでは、買いたたきに該当するおそれがある具体例の一つとして、「⑧情報成果物の作成委託において給付の内容に知的財産権が含まれている場合、当該知的財産権の対価について、特定受託事業者と協議することなく、一方的に通常支払われる対価より低い額を定めること」(35頁)が挙げられている。この点について、そもそも、文化芸術分野では、従前から、商慣習として、何ら正当な理由がなく、一方的に知的財産権が発注者に譲渡され、ただ形式的に、報酬額には「知的財産権の対価を含む」との記載があるに過ぎず、実質的には「知的財産権の対価」が含まれているとは思えないような対価を設定されることが、ほとんどである。本来は、「適切な知的財産自体の対価」が支払われているのかが問われるべきなのであるが、このような状況においては、契約書に、単に形式的に「知的財産権の対価を含む」と記載されてしまい、受注者側が異議を唱えたとしても、従来からもそうだったのだから低くはないと発注者側に一蹴され、受注者側は何ら救われることがないのであって、そうした状況は従来と変わらないと考える。
加えていえば、上記の状況において、特定受託事業者である受注者側としては、そもそも「適切な知的財産自体の対価」を算出するための資料等を収集することが困難であることから、発注者側が、契約書の形式的な記載を根拠に「知的財産権の対価を含んだ適切な対価」と主張してきた際に、「適切な知的財産自体の対価」を具体的に示して反論をすることは極めて難しくなる。そのため、新法の「買いたたき禁止」では、従来の状況を変えることはできないと考えており、このような問題の解決は難しいと考える。
なお、この問題について、筆者が、パブリックコメントで、公正取引委員会に対して、指摘したところ、特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律の施行に伴い整備する関係政令等」の成案公表では、適正な対価の還元については、「取引の当事者が業務委託をした時点で十分に協議した上で合意した報酬額が支払われる場合は、一般的には「買いたたきに該当するおそれがある」とはいえない」とされ、また算出困難であるとの指摘については、「買いたたきに該当するおそれがある具体例」として誤っているものではないため、原案どおりとします」という回答に終始しており、非常に残念な結果であった。また、意見の概要及びそれに対する考え方107~108頁(2-3-49)では、「現状、芸能従事者の報酬の相場に定めないことから、類似品や市価に該当するものが存在しない。そのため買いたたきの定義ができない。」との意見に対し、「通常の対価を把握することができないか又は困難である場合については、たとえば、当該給付が従前の給付と同種又は類似のものである場合には、①従前の給付に係る単価で計算された対価に比し著しく低い報酬の額や②当該給付に係る主なコスト(労務費、原材料価格、エネルギーコスト等)の著しい上昇を、たとえば、最低賃金の上昇率、春季労使交渉の妥結額やその上昇率などの経済の実態が反映されていると考えられる公表資料から把握することができる場合において、据え置かれた報酬の額を、通常支払われる対価に比し著しく低い報酬の額とします。」という、文化芸術分野においては、参考にすることが難しい回答になっている[2]。
このようななかで、上述の閣議決定で、「フリーランス・事業者間取引適正化等法の活用」と言っているのであれば、日本政府は、このような実態を正確に理解していないというべきだろう。
2 新法では、買いたたきの問題が生じないように、報酬の内訳を明記するのが好ましいと考える。たとえば、以下の条項案が考えられる[3]。もっとも、実務において、このような記載方法は難しいという批判は容易に想像でき、従来通り、内訳の金額は明記されず、報酬の金額の後ろに「知的財産の利用許諾又は権利譲渡を含む」等と書かれることになるだろう。
【報酬に利用許諾または権利譲渡の対価を報酬と分けて明示する場合】
(条項案) 1 (発注者)は、(実演家)に対し、出演業務の報酬として金○○○,○○○円(消費税等別)、第○条第1項で定める(利用許諾又は権利譲渡)の対価として金○○○,○○○円(消費税等別)を支払う。 |
3 ところで、解釈ガイドラインでは「特定業務委託事業者が特定受託事業者に発生した知的財産権を、業務委託の目的たる使用の範囲を超えて無償で譲渡・許諾させることは、不当な経済上の利益の提供要請に該当する」(37頁・38頁)としている。文化芸術分野の取引では、上述のとおり、実演家・クリエイターに発生した知的財産権の全てを一方的に(特定)業務委託事業者に譲渡させる規定が多い。特にマネジメント事務所と実演家・クリエイターとの間のマネジメント契約では、そのような条項が設けられることが通常である。しかし、このように業務委託の目的たる使用の範囲を超えて、無償で譲渡・許諾させることは、フリーランス・事業者間取引適正化等法第5条2項1号違反になる。もっとも、上述のとおり、文化芸術分野において「適切な知的財産自体の対価」を算出することが困難である現状では、契約書において、ただ、報酬の金額の後ろに「知的財産の利用許諾又は権利譲渡を含む」などと加筆されるだけで、無償ではないとされる可能性もあり、上述の買いたたき規制と同様に、やはり実演家・クリエイターが適切に保護されないことが強く危惧される。
筆者としては、単に「すべての知的財産の利用許諾又は権利譲渡の対価を含む」とする記載方法だけでは、業務委託の目的たる使用の範囲を超える知的財産の譲渡の対価が不明確であることから、実質的には無償の許諾又は譲渡であるとして、フリーランス・事業者間取引適正化等法第5条2項1号違反になる可能性があると考えているが、業界全体でこのような記載を避けるべきであることを周知し、加えて「適切な知的財産自体の対価」基準を策定していくべきと考える。また、仮に、業務委託の目的たる使用の範囲を超える知的財産の譲渡を求める場合であれば、その理由を(特定)業務委託事業者が明らかにし、特定受託事業者側と十分に協議をするべきであり、理由を明示できないことは、それは特定受託事業者側が契約内容を受け入れざるを得ない立場を奇貨とした「一方的」な要請であり、「十分に協議した」とは評価すべきではない。
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レイ法律事務所弁護士(代表)。2011年弁護士登録(